after rain

苦しみながらいきています

脳性麻痺

この記事には障害に対してあまり肯定的な内容を書いていません。身内などで障害を抱えた方がいる方はお気を悪くされると思うので、読むのをお控え下さい。

 

 

僕は生まれつき足が悪い。保育園に入った辺りから何かおかしいと気づいた。他の誰よりも足が遅い、何もない道で何度も転ぶ。月に何度かお昼ご飯を食べた後に母が迎えにきてよくわからない病院に連れてかれる。友達が歩いてる僕を指さして笑って変な歩き方をする、そして先生に怒られる。その時は意味が理解できていなかった。


小学生に上がったばかりの頃、ある夜母が深刻そうに僕に語りかけた。

あなたは普通の子とちょっと違って、歩き方に癖があるの。それは脳性麻痺と呼ばれてるの。産まれた時へその緒を先生が少し早く切ってしまって栄養が少しいかなかったみたいなの。でも別に他に身体にも問題なくて病気じゃないからと。人それぞれ個性が必ずあるし、あなたにとってそれは個性なの。でも、ごめんね、普通に産んであげられなくて。


6歳の僕にもこれが只事ではないと理解してすぐに医療の文献を手当たり次第読んだ。まだ漢字の読み書きすらまともに習っていない中、たくさんの時間をかけて知ったことは、これは一生治ることはないということだけ。


なぜ自分だけこんな姿で産まれてしまったのだと嘆き、その後の人生において普通に生きられないことを悟り、まだ覚えていない感情を抱いた記憶がある。それは絶望だっただろう。6歳児にはあまりに重たい現実だった。


どうやら知的障害はなかったらしく普通学級に進学したが、特にひどいイジメなどは受けなかった。(もちろんそれなりに酷い言葉を言われたり笑い者にされたりすることは数えきれないほどあったが)

その場その場をうまく立ち回り周囲を味方につけるのが自然と上手になっていたようだ。常に全ての人間の顔色を伺い続けて、誰よりもいい子を演じてきた。それは全て自分を守るために。


ある程度成長して12歳くらいになる頃、当時の知識を振り絞り母に提案をした。僕の出産に立ち会った医師を裁判で訴えて賠償を請求しようと。

母の言い分によると、出生時に医師がへその緒を切るタイミングが早かったのだと。それは医療ミスではないのか?疑問と強い怒りをずっと隠して過ごしていた。

当然僕には出生時の記憶はないしどこの病院のどの医者が担当だったかなんて知らない。母の力が必要だった。

母は言った。もう終わっちゃったことだしあなたが今こうして"普通"に元気に過ごせてるのだから、お母さんはそんなことしないでいいと思うな。と。


なんだそれは?

僕の一生を台無しにされて、毎日つらい気持ちを全て隠して元気なフリをしている12歳の子供に対して、なんだそれは?


結局何かを隠していたのか、本心だったのか今でもわからないが、母の所有物のような僕はそこで話を終わらせた。


"もっと普通に生きないといけない。僕は普通の人間ではないのだから誰よりも普通に見られるように努力を続けないといけない。普通に生きないとひどいイジメにあってしまう。勉強もいっぱい頑張らないといけない、僕は普通じゃないから普通になるためには頭を良くして良い学校に入って良い会社に入って、それでもきっとこんな醜い障害者はこの世界で必要とされない。必要とされるようにもっともっと頑張っていい子にしないといけない。頑張ろう、もっともっともっと。絶対誰かに嫌われてはいけない。僕は普通じゃないから"


きっと精神がおかしくなったのはこの辺りだろう。


中学生になり塾にも通い出した。成績は優秀ではあったが、自分は飛び抜けて頭が良いわけではないことをすぐに悟った。勉強しなくても僕よりもテストの点数の高いやつを何人も見てきた。


なんだか急に全てがどうでもよくなった。


高校は進学校だったが一度も授業を聞く気にもならずノートも取った覚えがない。宿題も一度もやったこともなかった。テストは赤点ばかり。先生に何度も叱られた。お前は何がしたいんだと。

別に不良になったわけでも反抗したかったわけでもなく、自分自身の全てがどうでもよくなった。漠然と死にたいと思い始めたのはこの辺りからだ。


その後都内の大学に進学し、2年生になる前の春休みに突然全てが壊れた。

それまで、その直前まで健康そのものだったのに止まらない吐き気。

実家から遠く離れた土地のアパートを借りて一人暮らしをしていた僕は何をどうすればよいのか、そもそも何が起こっているのかわからず、死にものぐるいで自分で調べ自分の足で病院を転々とした。処方される内科薬は何の効果もなかった。気がつけば大きな病院で精密検査することになっていた。

検査結果は異常無し。おそらく精神的なものではないかと心療内科の受診を勧められた。


それから今に至ります。今回はそちらの詳しい話は割愛します。


この文章を読んだ方なら察しがつくと思いますが、僕の心身が壊れたのはおそらく脳性麻痺によるコンプレックスが原因です。

もちろん成長するのにあたり様々な要因はあったと思いますが、どこに起因するかは間違いなくそこになります。

物心が付く頃に叩きつけられた、自分が普通ではないという絶望、そのため誰よりも普通でいなければならないという強迫観念、白黒つけないと気が済まない人格障害、人格形成の失敗。普通の人間に対する劣等感。やり場のない怒り。発散する方法がわからずに全てを抱え込んでいました。


例えば障害者は不幸だというと一概にそうとは思わず、実家にお金があったり親が人格者だったり環境に恵まれていたり本人に優れた能力があったり。いくらでも幸せに生きている方はいると思います。


僕はそれになれなかった、失敗した障害者です。

きっと死ぬまでこの感情は消えることもなく、今も毎日死ぬことばかり考えています。

おそらく何かしらの精神病で、一般的に見ると認知が激しく歪んでいると思います。

今の状態で必要なのは精神の専門家のサポートや投薬治療などがありますが、それらを何年続けてもその根本は何一つ変わりませんでした。


誰のことも信用できない、誰も助けてはくれない、何一つ救いがない、誰からも愛されない、誰にも必要とされない、自分自身を絶対に愛せない、何も楽しいことがない、何もしたくない、はやく消えてなくなりない、産まれてこなければよかった。

そんなことを毎日毎日毎日毎日何年も考えています。考えたくなくても考えてしまいます。


もし障害のある子供を産んだ方は、僕のような失敗した人間にならないように深い愛をもって、その子に適した形で向き合ってください。あなたも被害者なのかもしれませんが、子供を救える可能性が一番高いのは親です。

僕は母や教育環境が悪かったと責めるつもりはないですが、その結果がこの有様なので、それをどう捉えるかはお任せします。


親のせいにするな、なんて言葉が適切な場面とそうではない場面もあるかと思います。


今年も24時間テレビ楽しみですね。愛は地球を救うそうです。