after rain

苦しみながらいきています

孤独からの脱却を求めて

今までに書いた記事を読んでくださった方は、僕がどういう原因でどういうつらさを感じているか、その一部でも知ってもらえたのかもしれません。

実際のところ誰も読んでいなくて僕に興味はなくてただ自己満足で書いている無意味なことはわかっています。

ただどこにも居場所がなくてどこにも吐き出せなくて、吐き出すことが適切かはわからないですがもうこうするしか心を保つ手段がなかったということだけは少しでもわかってほしいです。


自分は世間一般の人と比べると精神状態が異常なのかもしれません。

ただ、例えば精神科やカウンセリングのマニュアルだったりよくある自己啓発本に書かれている、孤独をつらいと感じる人への対処法に書かれている結論の一つに、人と比べないこと、という内容があります。


そんな理屈中学生でもわかる簡単なことなのに、結局この社会が存在している以上人は相対的に物事を判断してしまうのは自然のことです。

その凝り固まった固定概念に則って生きてきた人間がそう簡単にそれらをはい捨てますなんてできるわけがないと思います。特に僕のように幼い頃からこうでないといけない、という強迫観念に支配されてきた人間なら尚更です。

理屈では正しいとわかっていても実践は現実的ではない、なぜなら人間には感情があるからです。

もちろん世の中には感情すら理性で思うようにコントロールできる性質の方もいますし、努力で改善された方もいるかと思います。

今の自分にはそれが非常に困難だと感じて、どんな本を読んでも人の話を聞いてもそれが本心に響くようなことはありませんでした。


ならばどうすればよいか。受け入れることも開き直ることも自分自身では不可能な状態。

そのために精神の医療機関や専門家がいるのではないかと、外部の人間を頼るのが最効率なのだと思いました。

ただ僕は自分の心の内面をそういった専門家に何度も何度も、何年も頼っても何も改善することはありませんでした。

提示されたアドバイスはきちんと実践し続けても何も変わらない、それが更なる絶望を与え、人間に対して信用ができなくなりました。


それでも生きてしまっている以上、苦しみからは解放されたい。幸せに行きたい。100%苦しみが消えることはないのだとしても、僅かにでも心が楽になってくれさえ良いとすら思っています。


僕はSNSツールの存在が苦手で、何年も利用していますが開くたびに苦しい思いをしています。

物事を相対的に判断する性質上、不特定多数の他者の存在や発言が全てナイフのように胸に突き刺さり痛みを感じます。

でも今の社会でSNSツールは市民権を獲得して、今後コンテンツが変わろうともおそらく社会的立ち位置は少なくとも下がることはないでしょう。

それでも承認欲求を捨てきれない僕は、誰かに気持ちを伝えたい。でもそれによりどんな形であれ拒絶されたり否定されたりする未来が鮮明に想像できてしまうため結局行動ができません。臆病で逃げているだけだと捉えられても仕方ないですが、それだけ自分がこれ以上傷つくのが本当に怖いのです。


ではこうなったらまたカウンセリングにでも行ってみようかと考えました。カウンセリングのメカニズムはある程度理解していて、正直何も期待していません。人にもよると思いますが、僕が何を話すのか、それに対してカウンセラーはどんな理屈と目的でなんと答えるのか、それによって僕はどう感じるのか、経験もあるので鮮明に想像できてしまいます。

それでも何もしないで塞ぎ込むよりは良いかと近場の事業所を調べてみたのですが、改めて料金表を見ると諦めるしかありませんでした。

休職して所得を失った僕にはあまりにも厳しかったです。

じゃあ金銭面がネックならば次の選択肢として、保険適用され自立支援医療が利用できる医療機関を最大限に活用する手段が浮かびます。ですが僕はまだブログには書いていない複雑な事情があり、それを利用することができません。


結局のところ、自分自身でどうにかするしかないんです。それがわからないから書きたくもないブログを書いて世に恥を晒しています。手探り次第の解決策の一つなのかと思って書いています。


もう考えるのは疲れてしまったので考えることをやめられたらどれだけ幸せなんでしょう。

それでも僕は考え続けてしまいます。

今僕の出せる最後の結論として、生き続けることを選ぶのならばその感情と付き合っていくしかない。

そのために、例えば何か夢中になれることを見つけて、その瞬間瞬間だけはそれに集中できたらつらい気持ちは一時的にでも軽減するのではないかと考えています。


それがまだ輪郭すら見つかっていません。

救いはどこにあるのでしょうか?