after rain

苦しみながらいきています

無能な僕の自己暗示

2023年8月、仕事のストレスで心身を壊して休職した。

その最中はとにかく毎日24時間しんどくてつらくて他に何も考えられないほど苦しみに支配されていた。

頑張りたい、でも耐えられない、苦しい、誰も助けてくれない、解放されたい。

身体が壊れてくれたのはある意味よかったとも思える。何も食べられないで吐き続けるおかげでこれで辞める口実と説得性ができた。先のことはそのとき考えればいい。


仕事を辞めて4日目くらいから唐突に自己の内面に向き合うことにして、ブログに書いた通り自分の醜悪さと永遠に付きまとう孤独への絶望に支配された。他のことを考える余裕もできなかった。

でも1週間で飽きた。考えても答えは出ないしこれ以上意味がないしシンプルに考えるのが飽きた。


じゃあそれで楽になったかというとまたそうでもなくて、今度は具体的な将来の人生への絶望に支配された。仕事をするのが怖い、同じ組織の中で賃金を貰えるプロフェッショナルを演じ続けることが怖い、他人が怖い、予期せぬイレギュラーが怖い、正常な人間のふりをし続ける自信がない、また壊れてしまうのが怖い、また人に失望されるのが怖い。

働くことができないならお金が入らない。お金が入らないなら生活ができない。生活保護になって自分の娯楽を全て取り上げられて生かされるのなら死んだ方がマシだ。いつか来る近い終わりがあるのなら自殺しようと自殺の方法や場所、時間、自殺失敗者の体験談を一日中調べていた。人が死んだらどうなるかはあまりにも馬鹿馬鹿しすぎるというか単純に自分には全く興味がないから調べなかった。死後の世界などない。天国も地獄も輪廻転生も存在しない。それは思考を放棄した無能な僕の決めつけかもしれないがそれだけは揺らがない。


でもその考えにも飽きて、結局人は必ず死ぬのだしいつ何が起こるか想像はできても全くその通りにはならない。形あるものは必ずいつか壊れる、諸行無常

ならば今まで働いて得られた僅かな貯金で生きられるまで生きよう、生きるのならばせめてその間だけでも嘘でも楽しく過ごそう。考えたくないことはいくらでも浮かび上がり考えてしまうがそれを自ら放棄しよう。生きるのが本当に困難になったときにまた考えればいい。もしもそれまでに自分自身の人生に楽しみを見出してまだ生きていたいと思えたり心身が本当の意味で回復したり成長したり、まだ予期せぬ巡り合わせがあったり興味のあるものに遭遇できるかもしれない。無能の人間の未知への決めつけは愚かだ。


ということで2週間ほどの自分との会議の結果、とりあえず先のことは置いておいて毎日を無理矢理にでも楽しく生きていこうぜ!のスタンスでいってみようってことにしました。

この考えが間違ってるとかそういうのすら考えない、考えない方が自分にプラスだと決めつけました。


そうは言えど人には感情があり僕の性質上人一倍物を考えてしまい、結局ネガティブな感情が毎日浮かび上がるかもしれないですが、そのスタンスからはブレない程度に飽きるまでやってみようと思います。


僕は無能な無知なので哲学者には向いてない。